久々のオピニオンです。

タイトルの〈必要だった〉、はもちろん時の人、橋本市長の発言。

慰安婦は、当時の軍隊には必要だった。」
本当にそうなのか・・・


もし当時は「必要だった」というなら、
遡って、アテネの奴隷は必要だった・・・
江戸時代の士農工商・エタヒニンも必要だった・・・
アメリカによる原爆投下も必要だった・・・
さらに、原発も必要だった・・

などなど、「当時を肯定する」ところから見ると、すべて「必要だった」となる。
この考えは、一見もっともらしいが、その奥に非常な危険を感じるのです。


歴史の見方は、何時の場合も現在の観点から、当時の発展の段階としてなぜそうなっていたかをみるもの。苦しめられてたきた人々が、そこから解放を勝ち取ってきたのであって、不条理を否定し闘ってきたことから現在に続いている。

今、ことさらに「必要だった」を発言することは、今現在も心の奥底で「必要」を肯定していることで、まして政治の表舞台に立つ人間の発言となると、世論を誘導しようとする政治的な意図があるとしか思えない。


「戦争当時、大半の人が戦争に賛成し協力していたのだから・・」という理由で、戦争が「必要だった」とするなら、日本の侵略戦争を肯定し、「侵略ではない」とする論理と何もかわらなくなる。

今現在、多くの人が戦争を憎み、反対し、否定するのは、戦争によってほんとに多くのの命が奪われ、傷つき、生活に困窮して、苦しんできたことを知っているからであり、国際紛争の解決の方法が別にあると学んだからに他ならない。


橋本市長の「当時は必要だった」発言に対し、真っ向から異を唱える論調が見えないのが少々不安。
そう思いませんか。