オリンピックに思う


盆休みの前半は、墓参りもかねて母が一人で住む広島へ行ってきました。その玄関先の大きい瓶(かめ)にハスの花が咲いていました。聞くと、水だけは欠かさずいつもやっているよう。この時期、花を咲かせ心を和ませてくれるハスに感謝します。


ところで、世の中は北京オリンピック・・・北島の金メダルなど話題は尽きない。ただ、長いなあと思いながらそれでも見続けた開会式の隠されていた情報がすこしづづ明らかになっている。足跡の形のCG、子どもの歌の吹き替えは、「中国らしい」なあとまだ許せたのですが、「56民族を代表する」という民族衣装を着た子どもたちが、実は皆漢民族だった、ということを北京五輪組織委員会が認めたと言う。


これだけ民族問題が注目され、戦争まで起きている今、それはないだろう、と言う感じ。「イベントでは良くあること」と済ませてほしくはなかった。オリンピック後が心配になってきた。


民族問題は、よく宗教問題と同じく解決しがたい対立のように言われがちだが、紛争の根底に経済格差、貧富の差の拡大がある。オリンピックの華やかな舞台の裏で、世界全体も各国の中も格差の拡大が深刻なところまできている。身近なところで思いもよらない事件が起きるわが国でも例外ではない。